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字限図を中心としたケーススタデイー
低負荷型建築・市街地形成システムを考えるにあたって、その対称モデルを
極度に市街化が進んだ大都市に求めるのも一つの方法であろうが、極端な資本
投下を前提としない自立型の地方都市を対称に、我が国の都市のもつアイデン
テイテイーを抽出し、そのシステムを充分に活用することもまた重要な手法と考
えられよう。そこで今回自立型の地方都市の対称モデルとして繰り上げたのが、
福島県中央部やや北に位置する総人口35,000 弱の二本松市である。(国勢調
査によれば同市の人口は昭和30年及び昭和60年。平成2年は34,000 台、その
間は33,000台とゆっくりした変動を示す。)とくに本市を対象として採り上げ
た理由は、近世的建築遺構を殆ど失っている現状にも係わらず、どことなく近
代的なニュアンスを感じさせると同時に、都市計画的用途指定の網を被せるこ
となく自然に空間の類型化が成されていることに依る。
ところで、旧二本松城下は馬蹄形の丘陵地に囲まれた郭内(武家屋敷地)と
丘陵南に稲妻型一列に配された郭外(町人町)、さらに南に拡がる田畑地帯を
控えて阿武隈川に臨んだ近世都市として計画された。幕末の二本松藩は幕府の
勇藩として奥州連合に参加したことは周知の如くであるが、維新戦争で郭内を
焼失し郭外のみが残る結果となった。現状の二本松中心街は郭外の本町を軸と
して展開されている。すなわち、二本松市にみられる空間の類型化の源初形態
は、基礎的に近世都市計画の手法を前提として成立しており、それと現代的ラ
イフ・システムとの重層的二重構造として据え直す必要性を示唆するものと考
えられる。
この重層的二重構造を解く鍵として、現代の行政区と字界との関係、自治シ
ステムの構成過程を確認する必要があろう。
【表ー1】では「明治15年地籍字限絵図」にみられる内容を、【表ー2】では
「明治22年地籍字限図」で変更をうけた内容、【表ー3】では本町を中心とし
た災害と消防組織の編成過程を示し、【図】は本町周辺に関する部分だけを昭
和30年代の町名変更に伴う「地籍集成図」を基に明治15年の情況を図化したも
のである。煩雑さを避けるために明治22年の情況は示していないが、明治15年
と明治22年の地割の変化は基本的に明治20年の二本松駅開業に伴う周辺環境の
変化が原因と考えてよかろう。特に、表通り中央を流れる用水路が通り北端に
移されたことは、用水機能の変化とともに敷地と道路との依存関係にも変化を
もたらし、それまでの道路を挟んでの均等な立場から不均等性を生む結果とな
った。さらに連絡路として準備された表通りと直行する脇道の有する機能にも
変化を与える結果となって顕れている。本報告では特に現在の本町1丁目・本
町2丁目に限って旧字界との比較を行ったが、旧二本松町内は基本的に同様の
傾向を色濃く伝えている。
一方、消防体制の確立過程をみると、大火の直後に整備が進み、現在では旧
二本松町内は旧字単位で7部構成とされており、ゴミの収集などに拘わる自治
会組織もまたそれに準拠するものと考えてよい。現在の行政区は道路を境とし
た字界変更にもかかわらず、旧「字」単位の構成を採るのは、とくにこの都市
の特徴的部分と考えてよかろう。
このことから、二本松市においては道路の拡張、区画整理、町名変更などが
コミュニティーの崩壊に繋がる危険性を孕んでいることに留意すると同時に、
全てのデータを旧「字」単位で整理することが必要となってくる。
【表ー1】明治15年地籍字限絵図より
【表ー2】明治22年地籍字限図より
【表ー3】本町を中心とした災害と消防組織の編成過程
「地籍集成図」を基に明治15年の情況