依怙都市目次へ戻る

丹羽氏による都市計画の空間特性


 二本松城下を近世的に変貌させた丹羽光重の系譜は、織田信長に仕え安土城
の普請奉行を勤めた丹羽長秀以来、数多くの城下町普請を手掛けている。長重
から光重までの丹羽氏三代の転封と城下町普請の経緯を年代順に示すと次のよ
うになる。
 天正四年      安土城普請 長秀
 天正十二年     若州小浜城普請 長秀
 天正十五年     松任城入府 長重
 慶長三年      小松城入府 長重
 慶長五年      改易
 慶長八年      常陸古渡城入府 長重
 元和八年      奥州棚倉入府 長重
 寛永元〜四年    棚倉城下普請 長重
 寛永四年      奥州白河入府 長重
 寛永六〜九年    白河城下普請 長重
 慶長二十年     二本松入府 光重
 慶安二年〜明暦三年 二本松城下普請 光重
 このうちのどの程度まで城下普請に携ったかは明確にはされないが、奥州に
おいて棚倉・白河・二本松と三つの城下普請に携ったことは希有な存在といっ
て良い。その何れの普請にあっても力を注いだのは城下町の整備であったと考
えられる。そこで、本項にあっては棚倉・白河の城下の空間構成を確認すると
ともに、二本松城下の空間構成の特色を探ることとする。特に、二本松城下の
普請にあっては、まさに新規の城下町建設といってよく、丹羽氏の城下町計画
に関する考え方が最もよく顕われていると言って良かろう。


1)棚倉城下の空間特性


2)白河城下の空間特性


2)二本松城下の空間特性