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二本松城下における災害記録と城下更新システム

 二本松城下における災害記録を整理してみると、そこには期せずして町並更
新のシステムが内包されていることに気付く。それは、二本松の城下を定期的
に更新させてきた唯一のシステムといってもよい。だだし、城下町の面的開発
は後世に大変な借財を残すというリスクを背負うことにもった。しかし、その
リスクに対処するための5人組五つを基本単位とした下附基金による互助制度
は、将来的な小規模開発のための基本組織としての有効性を予感させるもので
ある。特に断り無き場合は市史による。
二本松災害整備記録
寛永二十年〔一六四三〕 丹羽氏入府    
正保三年〔一六四六〕  城下拡張計画
慶安元年        城下拡張整備開始
明暦二年八月      箕輪門石垣破損修理
  三年
寛文三年        武家諸法度
寛文六年四月三日    本町亀谷池ノ入焼失
  十二年       覚
延宝二年八月      本城土手二箇所三ノ丸土手一箇所町口堀ノ土手
            四箇所総曲輪石垣二箇所破損修理
  二年十月      ?
天和三年七月廿五日   武家諸法度
元禄十四年九月     町屋ヨリ出火八軒焼失
  十五年六月十三日  雷雨城中土手崩破損
宝永二年十一月十六日  町屋ヨリ出火家数百二十軒足軽家七十九軒焼失
宝永三年十一月十六日? 町屋ヨリ出火町屋百二十軒足軽家七十九軒焼失
  六年二月二十一日  鍛冶町ヨリ出火若宮町四谷六十五軒足軽家百四
            軒焼失
  六年四月二日    北条谷一ノ町二ノ町百四軒郭外寺社小役人足軽
            家数百軒類焼
  七年四月十五日   武家諸法度
  七年閏八月四日   大地震居城ノ石垣少々崩ル
正徳元年三月九日    三森町ヨリ出火足軽家二十一軒類焼
  二年三月十一日   武家諸法度
  四年八月      根崎町出火十一軒類焼
  八年八月七日    大雨侍屋敷町屋所々破損
  十五年五月二十三日 大風雨本坂門脇石垣破損修理
  十六年五月     大雨
享保十年正月      本町裏ヨリ出火久保町侍屋敷百軒類焼
  十五年五月二十三日 大雨本坂門脇石垣破損修理
     八月     大雨
  十六年五月十五日  大雨
元文三年七月二十三日  大雨
寛保二年二月十七日   烈風町屋百姓家百九十四軒潰ル
宝暦二年        大雨久保町口外石垣土手崩壊
  十一年十二月十八日 烈風足軽家在方百姓家七百八十四軒潰ル
  十三年二月十四日  大風雨城内破損軽卒町在ノ家々潰ル
            城内侍屋敷小役人屋敷百十九軒城下足軽屋敷町
            屋百姓屋七百六十一軒破損
延享三年三月二十一日  武家諸法度
寛延元年十二月一日   本坂東之方修復
明和四年四月九日    松岡町出火郭内エ焼入士家二百一軒町屋五百四
            十四軒〔若宮町本町亀谷町〕焼失
  七年二月十三日   本町出火町屋二百三十九軒類焼
天明六年        亀谷町焼失
  七年二月十三日   御城内高塀柵六百五十九間吹倒
            大風城下並ニ町家トモ潰家二千五百六十六軒内
            丸潰六百四十六軒
    九月      武家諸法度
  七年十二月廿六日  太田市左衛門殿借屋越中屋杢兵衛殿火元ニ〓根
            崎町両側不残
寛政五年七月      牢屋失火
  五年七月      竹田・根崎用水完成?
  六年十一月六日   侍屋敷数十五軒足軽家七十六軒焼失
  七年正月二十五日  本町渡辺太平ヨリ出火亀谷町マデ百三十五軒焼失
  八年十一月二十八日 本丸後通石垣修補
  十二年       台運寺出火
享和元年八月二十九日  城詰御城米蔵普請
  三年十一月     本町頭ヨリ出火八十軒焼失
文化三年十一月二十一日 郭外侍屋敷十八軒足軽屋敷七軒町家八十三軒焼
            失〔若宮町出火〕
  四年正月四日    郭外侍屋敷十三軒足軽屋敷八十七軒町家百十七
            軒其外焼失(根崎?)
 同 年        防火の備?
      十五日   ?
  十四年       文武学校(敬学館)設置
文政二〜三年      竹田坂防火用大井戸完成?
  三年四月二十日   当町〔根崎町〕布屋忠七殿火元南側高木又市類
            焼外
文政三年四月二十二日  町内類焼
  八年        会所移築?
  九年        小浜町用水普請?
天保元年        高木用水普請?
  三年六月      石壁塹壕ヲ久保町口ニ築造
  三年六月二十四日  亀谷御免町ヨリ出火坂ノ中程マデ焼失
    十一月     多門ヲ久保町口ニ築造
 同 年        本町南側町並み改正?
            一ノ丁にて火消し内揃え始まる(火消し組)?
            い組=本町・亀谷    ろ組=竹田・根崎
            は組=松岡・若宮
  四年        城内書庫ヨリ出火家従十六戸焼失
  十五年〔弘化元年〕二月二日 暴風 御城内塀重門・学館・桜谷同心
            長屋倒壊
万延元年正月一日    竹田町真行寺焼失
  元年三月八日    本町出火六十余戸焼失
  元年三月二十七日  竹田町出火根崎町類焼  焼失戸数六百五十八戸
  元年十二月十六日  宮下御殿焼失
慶応二年三月      亀谷関屋方ヨリ出火同町並ニ本町大半二百余戸
            焼失
明治元年        維新戦争で郭内全焼
  二年        若宮町焼失三十戸
            義勇消防組(火消組)  常備消防攻撃態勢整う
  三年〜十三年    各地に火消組できる
  八年        本町・亀谷大火、松岡類焼
  十八年二月十八日  松岡・若宮百八十戸焼失
  十九年二月二十七日 若宮・松岡大火、二百戸焼失?
  二十年十二月十五日 二本松駅開業
  二十三年      腕押しポンプ購入
  二十三年八月    洪水、供中流失家屋三十軒
  二十四年      町条例による消防組(本町・竹田各六十名、亀
            谷・根崎各五十名、若宮四十名、松岡三十名)
  二十五年四月二十五日 根崎十六戸・竹田十三戸、大平十三戸・竹の内
            三戸類焼
  四十三年三月四日  御徒士町大火二十余戸焼失
大正二年七月二十四日  竹田坂大火、三十五戸焼失
  四年        ガソリンポンプ購入
  七年四月二十日   本町大火、汽車の飛火により本町・亀谷・池の
            入など四百六十戸焼失
  十年        郭内に消防組
  十三年       防火貯水槽十五ヶ所設置、警報機設置
昭和元年        ガソリンポンプ購入
  四年        上水道完成、本町に地下貯水槽(石造<20t)、
            旧町内に消火栓七十二ヶ所
  七年七月二十日   大雨、供中橋流失
  十六年       二本松に常備消防
    七月二十三日  大雨、供中橋流失
  十九年四月     常備消防部設置
昭和三十年以降     町村合併に合わせて消防設備一式改変
昭和四十二年      二本松消防署建設
昭和四十六年      二本松消防署から安達地方広域消防本部に
            現在六分団(550 名)       【聞取り】
            第一分団  旧二本松町 七部構成  旧字による
             1部−本町一・二   2部−亀谷
             3部−竹田      4部−松岡
             5部−根崎      6部−若宮
             7部−郭内
            以上の部は編成順位による
            現在 年間ボヤを含めて20〜30件程度
              町場より郡部の方が火災発生率高い
            予防消防  毎月一日と十五日の二回
              大風、乾燥時に警戒呼び掛け
            都市計画に伴う防火地域・準防火地域等の指定
            は掛かっていない
大正七年大火以降大規模火災は見られない