南禅寺は、陽白公社李家庄村に在り、大殿が建てられたのは唐代の建中三年
南禅寺大殿フォコアンスーターティエン
南禅寺大殿に並ぶ重要木造建築物。身舎は桁行5間梁間2間で4面庇付。堂
南禅寺の当初の規模はよく分からないが、敦煌の莫高窟第61窟の『五臺山圖』
にその姿が描かれていることを思えば、当時からよく知られた寺院であったこと
は事実である。
大殿は中間:脇間=3:2、柱総間11,725mmの方三間仏堂で、堂内に柱は設け
られていない。内部の架構をみると、角の尾垂木を脇間中央部分まで持出し、そ
の上に斗拱が設けられ、その4隅の斗拱を結ぶように桁が廻されている。その間
の梁は二重梁とされる。
外周部は、柱上に設けられた朴訥な二手先の斗拱と二重の通し肘木、丸垂木の
隅扇が単純な中にも力強さを感じさせる。柱には内転うちころび あり。
【資料1 南禅寺】 断面図へ
(西暦782年)、今から1,200 年前のことで、国内現存最古の木造建築の一つであ
る。1974−1975年に掛けて原型に復する改修工事が行われた。その主要な架構と
斗拱は均しく原型を留めている。
南禅寺の規模は大きくはない。大殿は三間四方で殿内に柱は無く、長四椽架的
梁(宋式名称)を用い、両端で支えられている。途中に斗拱は設けられていない。
屋頂袱(棟包)は僅かに湾曲して、軒の出は深い。そのプロポーションは優れて
美しいものと言われ、これこそ唐代の典型的建築様式である。殿中の柱は大部分
が丸柱である。しかしながら、3本の角柱が発見され、それは当初のものである
可能性がある。古建築のなかで角柱が用いられた例は、敦煌の石窟の壁画中に見
られはするものの、実物としては壁画に次いで初めての発見である。
殿内の仏像の大部分は唐代に塑られたもので、寺内の小石塔や石獅子のいずれ
も均しく唐代の様式で作られたものである。寺内の山門や東西に配置された建物
類は清代の建造による。
楊永生 主編『古建筑游覧指南』中国建筑工業出版社(大和田健樹 訳)
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【資料2 南禅寺断面図】庄 裕光『古建春秋』四川科学技術出版社
857 年建立。総間正面7間側間4間。重点保護単位。
内梁間2間は梁のみで、桁行の架構は母屋のみ。身舎の柱間寸法は4,960 mm均
等。庇部分の出4,030mmであるから、全体としては両サイドの柱間が減少する
形となる。
架構は単純明快豪快で、持送り斗拱は軸方向にのみ用意される。檐柱は内転
をもち、柱は600 〜620 mm程度のエンタシスで上部に粽を有する。桁断面は丸、
尾垂木の先は直線的にカットされ、丸垂木は先端で鉛筆を削ったかのように、
角に変更されている。
組物、架構、外陣上部の壁画などを含めて全体的に唐代の建築様式をよく現
在に伝える優れた建築遺構である。吾国の大仏様式の源流を見たような気がす
る。