旧仙台地方専売局渡波専売官吏派出所保存再生計画
塩の旧仙台地方専売局渡波専売官吏派出所の成立
仙台藩の統括のもとに塩の専売制度が確立されたのは、伊達政宗が川村孫兵衛重吉
を召し抱え、製塩場経営に尽力したことに始まる。その中心となった地は塩釜であり、
古来塩の生産で有名な場所であった。その他、仙台藩の塩生産場としては旦理郡箱根田
浜、同鳥屋崎浜、同長瀞浜、牡鹿郡渡波、同流留村、同横浦、同指浜、同石浜、本吉郡
折立村、同十三浜、同長清水浜、同水戸辺浜、同清水浜、同志津川村、同鹿折村、同小
原木村、気仙郡大船渡村がなどが知られている。また、その製塩技術としては記述導入
先によって房州流、駿河流、播州流などと呼ばれていたようである。
渡波地区に塩田が造られたのは寛永三年のことで、下総の行徳にその範を求めた煮釜
であった。当時は一区一釜制で、渡波では二十三区が塩焼場として設定された。
仙台藩による専売制度は功罪相半ばするものではあったが、明治政府は制度の統一化
という観点から、仙台藩・金沢藩の突出した専売制度を廃止した。特に明治政府になっ
て物価上昇に見合った制度と、安定供給の面から専売制が見直され一時廃止(明治四年)
されていた。その専売制が復活するのは明治三十八年のことである。それにともなって
渡波地区にも塩専売官吏派出所が設けられ、この地域の塩の集積および撰別が行われた
という。
明治三十八年に発足した官による塩の専売制度は・・・・・
昭和三年八月製塩地地図
昭和29年4月1日全国塩田地図
昭和三十三年渡波地区の製塩業は廃止
昭和34年3月日本塩業地図
旧渡波専売官吏派出所の建築遺構について
現存する旧渡波専売官吏派出所の室構成は所長室・事務室・カウンター・休憩室・宿
直室・炊事場・炊事場付属物置・撰捌所付属納戸・撰捌所・レンガ蔵が一続きの建物と
される。敷地内は門柱を中心軸として、官吏事務所棟と対象にコの字形に洋小屋倉庫が
ならべられていた。現在は南北の二の字しか遺されていない。
所長室・事務室・カウンター・休憩室・宿直室・炊事場・炊事場付属物置・撰捌所付
属納戸・撰捌所を事務所棟と呼ぶことにすると、事務所棟が建てられたのは、その建築
技法からいって、専売制が復活した明治三十八年を程経ぬ時期と推定される。建物は非
常に簡素であるが、当時の塩の撰捌・搬入・搬出に関する施設として其の形態を非常に
良く今日に伝えている。特に撰捌所の吹き抜け天井と東南隅の飾棚は特徴的といって良
い。撰捌所の吹き抜け天井と同型式のものは黒石市の酒蔵などにもその類型が見られる。
また、平面上は一見空間に変化を持たせる必要はなかろうと思われる部分に、天井伏
では天井框による切り換えが設けられて、天上高による執務エリアの違いを暗示してい
る。
恐らく、レンガ蔵も然程異なる時期のものではないように思われる。レンガ寸法には
長手で五寸五分・七寸二分の二種類、短手で三寸五分・四寸一分の二種類が用いられて
おり、焼成工程が二つに分けられているものと推定される(窯が異なることも考えられ
る)。当時のこの周辺地区におけるレンガ窯は宮城集治監(明治十二年四月一日設置)
および仙台区国分町の早川組(明治二十二年当時)の存在が知られているが、刻印など
が発見されていないので、あるいは地の窯であったかも知れない。
北側大型倉庫および南側倉庫の二つは当初のものかどうかは不明であるが、建設年代
は北側倉庫の方が早く、大正年間のことではないかと思われる。